第2回 伝説の嘘(2)

Posted by deadmanshand on 8月 18th, 2010 — Posted in

第2回:伝説の嘘(2)
サンプル・プレイ(p.241)に目を通してから楽しんでください

シーン1 狼きたりて

もっとも、今では二人ともすっかりルーパス形態に慣れて、好んでとるようになっている。 理由はケルンのトーテム、フクロウに敬意を表するためでもあるし、
実用的だということもある。




人腹生まれのガルゥが、現在ルーパス形態をとっている理由を解説したものだ。
「ケルンのトーテムに敬意を表す」ことから、ルーパス形態をとっている。
いかにもガルゥらしいプレイとして、誰もが十分うなずく演出だ。

……本当にそうだろうか?
実は、私も実際のセッションで、このシーンを真似てルーパス形態をとってみたことがある。
その時の周囲の反応は忘れられない。

「この場面は、別にオオカミになる必要ないですよ」

……世の中とは合理的なものである。特に、RPGの世界は、現実よりもはるかに合理的だ。
RPGの世界では、不思議なことに、誰も、不合理なことを行いたがらない。
意味のない行為、つながらない言葉、理解できない心の動きは、容易に物語から排除されてしまう。
変身によって心の動きを描くなどという行為は、不合理以外の何者でもない。
不合理にあふれたこのシーンは、明らかな嘘なのだ。

シーン2 マン・マシーン・プレイズ・リサーチフェイズ

やきもきして辺りを行ったり来たりしていたデーンが、そこでついに癇癪を起こして怒鳴った。 「いつまでも何やってんだよ? シーアージはどこだって?」
驚いたベヴィーラはデーンを見上げ-その拍子に精霊との接触を
途切れさせてしまった。
(中略)
「まったく、そのせっかちな性分はどうにかならないの、デーン!
もうちょっとであいつの居場所がわかるところだったのに!」



消えた仲間を探すために、PLは精霊と接触し、情報を得ようとするシーンだ。

三日月生まれのベヴィーラが、精霊との交渉に当たる。
長引く交渉に痺れを切らしたであろうデーンに、STは <業怒> を渡している。
STの期待に応え、デーンは長話をするベヴィーラを怒鳴りつけるロールプレイを始めた。

このやりとりの嘘は、RPGをあまりやり慣れていない人でもすぐに見抜けるだろう。
情報源から情報を得ている最中に、ロールプレイを優先させることができるプレイヤーなど、いない。
しかも、このシーンのように利害が絡めばなおさらだ。
ロールプレイを優先させた結果、PLたちは必要な情報を少ししか得ることができなかった。
さて、こんなシーンが現実的に起こったとしたら、あなたはどう対応するだろうか?
賭けてもいいが、再び精霊を召喚し、さらに情報を聞き出そうとするだろう。
情報を集めそこなうのは、セッションの『失敗』だからだ。
それに、もう一度精霊を召喚してはいけないルールなどない。
もちろん、それをしないのが、このサンプル・プレイの実に優れている点であり、
また、現実味がない虚構である。
ともあれ、些細なことで物語を逸脱してしまいがちな僕たちをあざ笑うかのように、 彼らはすぐに次のロールプレイにうつるのだ。


シーン3 諍い

ベヴィーラは首筋の毛を逆立てて唸り声をあげた。
ゲット族の男のほうもハンマーを放り出して牙を剥く。
これは決闘になるな、と思った『石の獣』は後ろに下がる。
「今はだめ」と、『赤い影』が短く吠えた。
ただ二言だけだが、断固とした響きに、誰もが彼女の言いたいことを理解した。


サンプル・プレイの中でも最高にクールなシーンだ。
一連のプレイからほとばしる「ワーウルフらしさ」ゆえに、
誰もが、作り物に違いないという思いをいっそう強める。
ベヴィーラとデーンは先ほどの件ですぐにケンカをはじめようとする。

ルール的に言えば、ワーウルフのケンカが、ただの口喧嘩ですむはずがない。
判定の妙でどちらかが血を流し、地面にはいつくばるまで続いたとしておかしくない。
その決闘が起ころうとするまさにその時、フィロドクスの赤い影が仲裁する。
狼腹であることのロールプレイとして、『赤い影』はたった二言しか言葉を発しない。
言葉をつくろうのは、二本脚のサルどものすることだ。
しかし、その言葉には、唱い掟に裏付けられた強い戒めが表現されている。
それがわかっていればこそ、彼らは言葉もなく戦いをやめるのだ。


さて、このようなシーンは、実際にはほとんど起こらない。
プレイヤーがパーティー内でけんかをしようと思うことなど皆無に等しい。
何か挑発でもされれば絡めばケンカもするけど、誰にしないし……というスタンスを抱えたまま
セッションがいつのまにか終わってしまう、ということの方が圧倒的に多いはずだ。
その結果、フィロドクスを選んだプレイヤーは活躍の機会を奪われるのである。


なぜセッションで諍いが起こらないか、ということの根は深いようで、
あまり深入りしようとは思わないが、自分の経験から複数の理由を考えてみた。

1つは、諍いがシナリオを壊してしまうこと。
シナリオに関係のない争いで負傷したり、パックが分裂してしまったりということがあると、
現代のRPG論では、「事故」あるいは「失敗」とみなされてしまうだろう。
優しいプレイヤーたちは、いつもゲームの中で不和が起こることを恐れている。


2つ目は、諍いを起こすことへの勇気。
日常生活で、つまらぬことで怒りを覚える人を、私たちは器が狭いと思うことこそあれ、
かっこいいとは思えることは少ないだろう。
狭量なキャラクターは、RPGではかっこ悪いのである。
どちらかというと、その狭量なキャラクターを柳に風と受け流すキャラクターのほうが、
RPGとしては好まれるように思う。
そのときの、彼らの言い分はいつも判を押したように同じである。
「こいつは気が狂っているのだ」
「こいつは困ったやつなのだ」
こんな味気ない応対で片付けられては、諍いを起こす方も張り合いがないというものだ。

そして3つ目は、フィロドクスの勇み足。
争いが起こる前に争いを治める。それは最良の調停者というものだ。
しかし、物語としての最良の調停者がそうでないことは、みなさんもよくお分かりだろう。


ところで、このシーンで注目したいのが、『石の獣』のプレイだ。
ラガバッシュの彼は、このシーンでは特に何もしていない。
実に面白い。
ラガバッシュが何もしなくていい瞬間というのは、存在しない。
どんな場面でも必ず、何かしらできることがあるというのが、 道化たるラガバッシュの面白さだ。
例えばこの場面。
フィロドクスに負けず劣らず、ラガバッシュはけんかを仲裁する方法を持っている。
2人の代わりに自分が悪者になる、という方法はデンジャラスで実に道化らしい。
そのような介入を『しない』ということはどういうことか。
それは結果的に、フィロドクスに場面を譲る配慮になっているのだろう。
ワーウルフ同士の争いに水をさす『勇気』を持って良いのはフィロドクスだけだと、
彼が信ずるがゆえのプレイであるという見方も、あながち言い過ぎでもないように思う。
先の『赤い影』のロールプレイも、狼腹のフィロドクスとしてハイレベルであることを考えると、
このプレイを参考に、ガルゥらしい反応をSTがPLに期待しまうのは、あまりにも高望みすぎる。

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