第2回 伝説の嘘(1)

Posted by deadmanshand on 6月 26th, 2010 — Posted in

第2回:伝説の嘘

ストーリーテリングゲームの特徴と魅力は、ルールブックを見るに明らかである。

『ルールと物語が衝突したときには、常に物語が優先される』*1
という、極めて単純な公式。

今、日本でもっとも人気のあるゲーム会社の、とあるゲームを紐解いてみよう。
ゴールデンルールには、次のようにある。
ルールに従い、最終的な裁量権はGMにある、と。
GMに従うことと、物語に従うことは、似ているようで違う。
ルールでもない、GMでもない、常識でもない、プレイヤーでもない、
『物語』に縛られることこそ、ストーリーテリングゲームの最大の魅力だ。

一方で、ストーリーテリングゲームには大きな『壁』がある。
そんな魅力的なゲームから、人を遠ざけてしまう不思議な壁だ。
『物語を志向するゲームだから、その風景はいつも美しく、また美しくなければならない』
この伝説こそ、はじめての人をWoDにひきつけると同時に、 またWoDへの接触をためらわせてしまう、壁なのである。

ストーリーテリングゲームは、はたしていつも美しいのか?
その伝説の真実を明らかにする時がきたようだ。

実際のところ、ワーウルフ:ジ・アポカリプスというゲームで作られる物語とは、ストーリーテリングゲームという名前から想像されるものとは少し違ったものになる。
その理由は二つ。
一つはストーリーテリングゲームという言葉の意味の問題、
もう一つは、ワーウルフの押さえ切れない本性、『業怒』の存在である。

難しい話は別の回に回すとして、 第二回の今回は
『ストーリーテリングゲームの作る物語が常に美しいなら、
ワーウルフ:ジ・アポカリプスのセッションもいつも美しいのか?』
ということについて考えていこう。

さあ、241ページを開きたまえ。
そこには、ワーウルフというゲームで最も美しい風景が描かれている。
……そう、サンプル・プレイだ。

古今東西、サンプルプレイの形は数あれど、その意味合いは何一つ変わっていない。
そのゲームが、その世界が、そのシステムが生み出す風景はどんなものか、
ということを伝えるのがサンプルプレイだ。
良いサンプルプレイは人をそのゲームにひきつける。
このワーウルフに掲載されたサンプル・プレイも、
ワーウルフのセッションの魅力を余すところなく伝え、読むだけでプレイしたくなる代物だ。
私も、このサンプルプレイのかっこよさに憧れ、セッション前に繰り返し読んだものだ。

しかし、これを参考に、かっこよくプレイしようと意気込んで現実のセッションに臨むと、
いまひとつしまらずに拍子抜けしてしまい、がっかりするということはよく聞く話だ。
その時の様子をよく表したのが、TRPGサプリ4号に掲載されたリプレイ、『黄昏の天使』である。
STの意気込みにPLがうまく応えられずに、セッションがどこか殺伐としてしまうというその風景は、
よくあるワーウルフの失敗パターンとして、あまりにも生々しい。

はたして、サンプルプレイと黄昏の天使、どちらが、本当のワーウルフの姿なのだろう?
答えは明白だ。
サンプル・プレイは、嘘だ。
サンプル・プレイは、ワーウルフのセッションとしては、
一種異常なほど『ロールプレイのレベルが高すぎる』のである。
誤解を恐れずにいおう。
ワーウルフのセッションは、決して、こんなに美しいものではない。
サンプル・プレイは、実際にはありえない風景を見せて、あなたを騙そうとしている。
他のRPGと同じように、
げらげら笑って、ルールを間違えて、どこかにあったセリフをいって、
興奮のあまりサイコロを割ったりする……それが本当のワーウルフの姿だ。

そんな嘘を、一つ一つあばいていくこととしよう。

*1 ワーウルフ:ジ・アポカリプス 21ページ

⇒ (2)に続く

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