第1回 ワーウルフ、その圧倒的なRPG (1)

Posted by deadmanshand on 6月 26th, 2010 — Posted in

第1回:ワーウルフ、その圧倒的なRPG

ワーウルフ:ジ・アポカリプスというゲームの難しさはいろいろあるにせよ、
まず何よりも強調したいことは、
ストーリーテラー(誤解を恐れず言えば、他のRPGのゲームマスターに当たる)

及びプレイヤー共に相当の負荷がかかるということである。

とりわけこのゲームのストーリーテラーは激務である。
ワーウルフたちがほんの少し『怒り』に押し流されただけでシナリオは崩壊、
演じるべき精霊たちは何を考えているのかわからず、
影界の風景は、見るものを圧倒するがしかし人間には描写はできず……
そしてそれを乗り越えた先に待っているのは……

ワンワンとしゃべる、ぬいぐるみのようなオオカミたち。

そう、ストーリーテラーだけが世界を伝えようとしても、
それを十分に分かち合えない可能性は非常に高いと言わざるを得ない。
この辺りのジレンマは、TRPGサプリ誌Vol.4掲載のマンガにも生々しく描かれているように、

どこにでも起こりうる悲劇なのである。
ワーウルフ:ジ・アポカリプスは、昨今見られるゲームのように、成功を約束された親切なゲームでは決してない。

STだけでなく、プレイヤーもまた、一般のRPG以上の想像力と、細かい作業を必要とする。
一人の人狼としてワーウルフのもつ文化をなぞるにせよ、
それに抗ってみせるにせよ、
言葉から文化を感じ、また文化を言葉にする術をもっていなくてはならない。

(あなたは、ルールブックの文章から、『母』という言葉の意味の重なりを感じていただけただろうか?)

また、人狼が獣性に振り回されるか否かを定めるのも、
これまたプレイヤーという『運命の神』なのだ。
キャラクターが扱うべき言葉を慎重かつ自由な発想で選ぶ、
また自らに降りかかる狂気すらも物語として歓迎するという『センス』を要求するRPGは、

そうそうあるものじゃない。

例えば、このゲームの一番最初の決まりとして、
ワーウルフは自分たちのことを指して『ガルゥ』と呼ぶと教わる。
このガルゥとワーウルフ、人狼という呼び方の違いを感じ取ることから、既に選別は始まっているのだ。
その差を飲みこめたプレイヤーだけが、

キャラクターの内面に深く踏み込んでいくストーリーテリングゲームの妙を味わえる。

STはいう。ガルゥだと? 笑わせるな。お前たちは怪物だ、と。

コメントはまだありません »

コメントはまだありません。

この投稿へのコメントの RSS フィード

コメントをどうぞ